川越おやじブログ

小江戸川越の街の写真 、出張先の街の話等々つらつらと書いているブログです。

サッカー日本代表 2戦快勝

サッカー日本代表、2戦連勝でしたね。
パススピードが、ヨーロッパのサッカーを見ている気分になりました。
このパススピードなら、いけると思いました。
ただ、ここにヨーロッパ並みのプレッシャーが加わった時、同じことが出来るのか、
多少不安が残ります。

本田圭佑選手。
オランダに行って良かったですね。
名古屋に在籍している時は、プレーが冷めていて、あまり好きな選手では
ありませんでした。
周りが付いて来れなかったのかも知れませんが、コネまくってボールを取られても、
まるで自分の責任じゃありません的な表情でプレーをしていた気がします。
一緒にサッカーしたくないタイプでした。
(実際には、頼んでもやってくれないでしょうが。笑)
でも今回の試合を見たら、相当プレーが、変わっていました。
泥臭くても良いから点が欲しい、勝ちたいという思いが良く判りました。
海外に行って本当に大正解だったと思います。

我が浦和レッズの至宝の一人、山田直輝くんも頑張っていましたね。
中学、高校と部活サッカーをやらなくて正解だったんですかね。
自分のサッカーの確立が出来ているんだろうなと感じました。
普通、部活でのサッカーでは、あのイマジネーションの選択は、無いのかなと思います。
(私の部活サッカーに対する考え方が、古すぎるのかも知れませんが...。汗)
実に、面白い選択をしていたと思います。
アシストがついた本田選手への1.5拍子のパス、ムカつきますね。(褒め言葉です。笑)

先日とある事実が判明しました。
息子とレッズ戦を見ていてポツリとこんな言葉を口にしました。
「山田直輝って兄貴がいなかったかな。ジュンキだったかな。」
私の記憶fが一瞬にして8年前に戻りました。「ジュンキとナオキ」
息子が小学校5、6年の時、武蔵浦和駅近くのフットサル場で、クーバーコーチング
というスクールに通っていました。
私もサッカーが好きだったので、よくそのスクールに練習を見に行っていました。
そこで良く耳にしたのが、この兄弟の名前「ジュンキとナオキ」だったと思い出しました。
ジュンキくんは:息子と同い年で6年生、弟のナオキくんは、5年生でしたが、対等以上にプレー
していたと記憶しています。
あまり記憶が定かではないのですが、彼だったのですかね?
埼玉県内の、息子と同世代の子で、ある程度プレーの目立つ子は、見ていたつもりでしたが、
山田直輝君はどこの少年団の子か判りませんでした。
息子とスクールで一緒だったとは、想像しませんでした。
(あくまでも、おぼろげな記憶のため、あまり自信がありませんが。汗)
どなたか、ご存知の方がおりましたら教えてください。(笑)

ブログランキングに参加しています。
管理者のモチベーション維持のため、
一日に一度で構いません、下記バナーをぽちぽちっとクリック、
ご協力お願いします。



日記・ブログランキング

日記・ブログランキングに参戦中


テレビドラマ、関東ランキングに参戦中

[ 2009/06/02 05:54 ] 浦和レッズ | TB(0) | CM(0)

餃子の店 おけ以

飯田橋 餃子の店 おけ以に行ってきました。
先日も書きましたが、手前から「中華料理の大古久塔」さん、「大勝軒」さん、「青葉」さん、その隣にあるお店が、餃子の店「おけ以(おけい)」さんです。
会社の帰り道から、パッと店の前を見たところ、ちょうど店の前に並んでいた二人のお客さんが、
店の中に入っていったのが見えました。
「もしかして入れる?」と思い店へ、お店の方に、入れるかを聞いてみると、ちょうど二人のお客が
清算しているところで、ほぼ待たずに入ることが出来ました。

テーブル席にすわり、メニューを開きました。
メニューの内容は普通の中華料理店でした。
飯田橋 おけ以
早速、餃子とビールを注文。
餃子:570円、ビール500円とちょっとお高めですね。
ちなみにビールはプレミアム・モルツでした。

飯田橋 おけ以

ビールを飲んで、しばらく待っていると餃子がやってきました。
飯田橋 おけ以

羽根付き、サイズは一般的な大きさのものでした。
早速餃子をいただいてみました。
確かに美味い。行列が出来るのも頷ける気がしました。
具はやわらかく、皮は薄目、ジューシーさは程よい感じ。
肉と野菜のバランスが程よく、口に入れると、中でぱらっと広がる感じの配分でした。
どちらかと言うと、野菜の方が多い感じ。
7:3位の割合ですかね。
野菜はキャベツ、にらを中心に数種類入っているようです。
シャキシャキの食感が若干強い感じで、具を見ると白いものが入っていました。
普通シャキシャキ感を出すために使用する食材はたけのこなのですが、
ちょっと違う気がしました。
あの白さからするとクワイ?百合根?
火が通っても、シャキシャキ感が損なわれず、そして餃子全体のわずかに癖のある
感じからすると、やはりクワイなのかなと想像します。
具の画像は取り忘れました。ゴメンナサイ。
細かい話はこの辺にしておきます。(汗)
同僚と二人でもう一人前の餃子と焼きそばを一人前頼み、オーダー終了。
飯田橋 おけ以

我が家では、結構餃子を作る事が多いのですが、このクワイは、
試してみたいなと思います。
ちなみにこのお店、タンメンも人気商品のようです。

「餃子の店 おけ以」
東京都千代田区富士見2-12-16 
(JR・地下鉄飯田橋駅から徒歩3分)
営業時間 11:30~14:00/17:00~21:00 (土11:30~14:00)
定休日 日曜・祝日・第3土曜

ブログランキングに参加しています。
管理者のモチベーション維持のため、
一日に一度で構いません、下記バナーをぽちぽちっとクリック、
ご協力お願いします。



日記・ブログランキング

日記・ブログランキングに参戦中


テレビドラマ、関東ランキングに参戦中





[ 2009/06/06 06:54 ] 飯田橋 | TB(0) | CM(2)

祝・サッカー日本代表

おめでとう。
サッカー日本代表、Wcup南アフリカ大会出場決定。
やはりアウェーの洗礼は、すごかったですね。
Wcup予選は、泥臭く勝つしかない。
ハンス・オフトから築き上げられたものが、
つながっているんでしょうね。
岡崎選手、いい選手ですね。
ゴン中山の0度からのシュートを思い出しました。
何はともあれ、今は出場を喜びたいと思います。

ブログランキングに参加しています。
管理者のモチベーション維持のため、
一日に一度で構いません、下記バナーをぽちぽちっとクリック、
ご協力お願いします。



日記・ブログランキング

日記・ブログランキングに参戦中


テレビドラマ、関東ランキングに参戦中
[ 2009/06/07 02:04 ] 浦和レッズ | TB(0) | CM(0)

とうりゃんせ発祥の地 三芳野神社

本日、連続テレビ小説つばさ 第11週「愛の複雑骨折」を見ていたら、
松沢栄次(石橋蓮司さん)が歌っていた「とおりゃんせ」を聞いて、三芳野神社の
画像を撮り溜めていたのを思い出しました。
5月初めの画像です。

とおりゃんせ 三芳野神社
川越城本丸御殿前の駐車場から入っていって見ました。

入っていくと左側に御社があります。
とおりゃんせ 三芳野神社
そして右側には、わらべ唄発祥の碑があります。
とおりゃんせ 三芳野神社

三芳野神社は、川越城の鎮守として寛永元年(1624)、時の城主酒井忠勝によって
再建されたといわれています。
この天神様は、わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地といわれています。
川越城内にあったため、一般の人の参詣はなかなか難しく、その様子が
歌われていると伝えられているそうです。

♪通りゃんせ 通りゃんせ         
♪ここは どこの細道じゃ
♪天神さまの 細道じゃ             
♪ちっと通してくだしゃんせ
♪ご用のないもの 通しゃせぬ         
♪この子の七つのお祝いに
♪おふだをおさ めにまいります
♪いきはよいよい 帰りはこわい
♪ こわいながらも
♪通りゃんせ 通りゃんせ
なかなか、ミステリアスな歌詞ですね。

そして、とおりゃんせの奥の細道、天神様の細道がこちらです。
とおりゃんせ 三芳野神社

解説文はこちらになります。
とおりゃんせ 三芳野神社

三芳野神社(市指定 史跡)
三芳野神社は、平安時代の初期に設立したと伝えられ、
川越城内の天神曲輪に建てられている。
この為、「お城の天神さま」として親しまれている。
この天神さまにお参りするには、川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、
富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、
三芳野神社に直進する道を通ってお参りしていた。
この細い参道が、童話「通りゃんせ」の歌詞の発祥の地であるといわれ、
現在でも静かな環境を保持しており、伝説豊かな地である。
なお、参道は、江戸時代より若干変化している(川越市教育委員会)

さてさて、ドラマ「つばさ」ではどのような使われ方をするのでしょうね。

三芳野神社の地図はこちら

大きな地図で見る

ブログランキングに参加しています。
管理者のモチベーション維持のため、
一日に一度で構いません、下記バナーをぽちぽちっとクリック、
ご協力お願いします。



日記・ブログランキング

日記・ブログランキングに参戦中


テレビドラマ、関東ランキングに参戦中

続・三芳野神社 川越城の七不思議

前回に引き続き、三芳野神社です。

この三芳野神社は前回も書きましたが、わらべ唄「通りゃんせ」発祥の地
と言う説があり、神社内に石碑が建っています。
今回はその隣に建っている石碑、川越城の七不思議について
書いてみたいと思います。

三芳野神社 川越城の七不思議



<初雁の杉>

 川越城内にある三芳野神社の裏には大きな杉の老木があった。いつの頃からか毎年雁の渡りの時期になると時を違えず飛んできた雁は、杉の真上まで来ると三声鳴きながら、杉の回りを三度回って、南を指して飛び去ったということである。そのため、川越城は別名初雁城ともいわれている。

<霧吹きの井戸>

城中に苔むした大きな井戸があった。普段は蓋をしておくが、万一敵が攻めて来て、一大事という場合には、この蓋を取ると、中からもうもうと霧が立ち込めて、城は敵から見えなくなったという。そのため、川越城は別名霧隠城ともいわれる。

<人身御供>

 川越城築城の際、太田道真・道灌父子は、三方(北、西、東)の水田が泥深く、築城に必要な土塁がなかなか完成せず苦心をしていたところ、ある夜龍神が道真の夢枕にたって、「明朝一番早く汝のもとに参ったものを人身御供に差し出せばすみやかに成就する」と言った。道真は、龍神にそのことを約束したが、明朝一番早く現れたのは、最愛の娘の世禰姫であった。さすがの道真も龍神との約束を守れずにいると、姫は、ある夜、城の完成を祈りながら、七ツ釜の淵に身を投げてしまった。そののち川越城はまもなくまもなく完成したという。

<夜奈川の小石供>

むかし、川越城主にたいそう狩の好きな殿様がいて、毎日のように鷹狩りに出かけていた。ある日、供の若侍が小川のほとりを通りかかると、一人の美しい百姓の娘に出会ったので、名前をたずねるとおよねといい、やがてこの娘は縁あって若侍の嫁となったが、姑にいびられ実家に帰されてしまった。およねは自分の運命を悲しみ、夫に出会った小川のほとりで夫が通りかかるのを待っていたが、会うことができず小川の淵へ身を投げてしまった。やがてこの川を「よな川」と呼ぶようになったが、川の名は「およね」からきているとも、よなよな泣く声が聞こえるからともいわれている。
 
<片葉の葦>

 浮島稲荷社の裏側一帯は、萱(かや)や葦が密生した湿地帯で、別名「七ツ釜」といわれていた。ここに生える葦は不思議なことに片葉であって、次のような話が伝わっている。
 川越城が敵に攻められ落城寸前に、城中から姫が乳母と逃げのび、ようやくこの七ツ釜のところまでやって来たが、足を踏みはずしてしまった。姫は、川辺の葦にとりすがり岸にはい上がろうとしたところ、葦の葉がちぎれてしまい、姫は葦の葉をつかんだまま水底へ沈んでしまった。この辺の葦は、この姫の恨みによってどれも片葉であるといわれている。

<天神洗足の井水>

 太田道真・道灌父子が川越城を築城するに当たって、堀の水源が見つからず困っていたところ、一人の老人が井水で足を洗っているのに出会った。この老人の案内によって水源を見つけた道灌は、かねての懸案を解決し、難攻不落の川越城を完成させることができたといわれている。かの老人の気品にあふれた姿に気がついた道灌は、これぞまぎれもない三芳野天神の化身であったかと思い、以来これを天神足洗の井水と名づけて大事にし神慮にこたえたという。


<城中蹄の音>

 川越城主酒井重忠は、不思議なことに夜ごと矢叫や蹄の音に眠りをさまされていた。ある日、易者にみてもらったところ、城内のどこかにある戦争の図がわざわいしているとの卦が出たので、さっそく土蔵を調べたところ堀川夜討の戦いの場面をえがいていた一双の屏風絵がでてきた。この屏風の半双を引き離して養寿院に寄進したところ、その夜から矢叫や蹄の音が聞こえなくなったという。

川越市 説明立看板より引用

流石に古くからの街、色々な言い伝えがありますね。
他にも喜多院の七不思議、五百羅漢、仙芳真人 、どろぼう橋、しゃぶきばばあ等々。

今回は、七不思議の中でも「霧吹きの井戸」に注目してみました。

「霧吹きの井戸」は現在川越博物館の前の、エントランス付近にあります。
川越城の七不思議 霧吹きの井戸

川越城の七不思議 霧吹きの井戸

この井戸、元々は初雁球場の脇にあったそうです。
ちなみにこの画像,蓋が開いていますが、私の仕業でもないですし、
敵が攻めてきたわけでもありませんので、あしからず。(汗)

川越は、いつも冬になると霧が良く出る気がします。
電車通勤の私は、冬の朝、新聞を取るのと同時に、霧が出ていないか
確認するのが日課となってしまいました。

やはり霧の出ることが、昔から多かったのですかね。
2,3年前にはこんなことも。
川越市駅のホームで電車を待っている時、下り方面が霧でガスってるなと思っていたら、
霧が徐々にこちらに向かってきて、一気に目の前が霧で見えなくなった、という経験があります。
流石に怖いものがありました。

今の時代、どうして霧が出るのかなんて、判っていても怖いのに、昔の人たちが、
ましてや、ただでさえ死の恐怖を押さえ込んで、さぁ城に攻め込むぞって時、
こんな霧が来たら、攻め込む気なんかなくなりますよね。(戦術的なものもあるのでしょうが。)
城を建てた方も、色んなうわさを流して、攻め込む気を起こさせないように、
していたのかも知れませんね。

そんなこんなで結果的に、ここのところ雲りがちなのは、井戸の蓋が開いていたせいなのかも
知れません...。
!?関東地方、先週梅雨入り...。(笑)

ブログランキングに参加しています。
管理者のモチベーション維持のため、
一日に一度で構いません、下記バナーをぽちぽちっとクリック、
ご協力お願いします。



日記・ブログランキング

日記・ブログランキングに参戦中


テレビドラマ、関東ランキングに参戦中



[ 2009/06/14 11:41 ] 川越城の七不思議 | TB(0) | CM(6)