前回に引き続き、三芳野神社です。
この三芳野神社は前回も書きましたが、わらべ唄「通りゃんせ」発祥の地
と言う説があり、神社内に石碑が建っています。
今回はその隣に建っている石碑、川越城の七不思議について
書いてみたいと思います。

<初雁の杉>
川越城内にある三芳野神社の裏には大きな杉の老木があった。いつの頃からか毎年雁の渡りの時期になると時を違えず飛んできた雁は、杉の真上まで来ると三声鳴きながら、杉の回りを三度回って、南を指して飛び去ったということである。そのため、川越城は別名初雁城ともいわれている。
<霧吹きの井戸>
城中に苔むした大きな井戸があった。普段は蓋をしておくが、万一敵が攻めて来て、一大事という場合には、この蓋を取ると、中からもうもうと霧が立ち込めて、城は敵から見えなくなったという。そのため、川越城は別名霧隠城ともいわれる。
<人身御供>
川越城築城の際、太田道真・道灌父子は、三方(北、西、東)の水田が泥深く、築城に必要な土塁がなかなか完成せず苦心をしていたところ、ある夜龍神が道真の夢枕にたって、「明朝一番早く汝のもとに参ったものを人身御供に差し出せばすみやかに成就する」と言った。道真は、龍神にそのことを約束したが、明朝一番早く現れたのは、最愛の娘の世禰姫であった。さすがの道真も龍神との約束を守れずにいると、姫は、ある夜、城の完成を祈りながら、七ツ釜の淵に身を投げてしまった。そののち川越城はまもなくまもなく完成したという。
<夜奈川の小石供>
むかし、川越城主にたいそう狩の好きな殿様がいて、毎日のように鷹狩りに出かけていた。ある日、供の若侍が小川のほとりを通りかかると、一人の美しい百姓の娘に出会ったので、名前をたずねるとおよねといい、やがてこの娘は縁あって若侍の嫁となったが、姑にいびられ実家に帰されてしまった。およねは自分の運命を悲しみ、夫に出会った小川のほとりで夫が通りかかるのを待っていたが、会うことができず小川の淵へ身を投げてしまった。やがてこの川を「よな川」と呼ぶようになったが、川の名は「およね」からきているとも、よなよな泣く声が聞こえるからともいわれている。
<片葉の葦>
浮島稲荷社の裏側一帯は、萱(かや)や葦が密生した湿地帯で、別名「七ツ釜」といわれていた。ここに生える葦は不思議なことに片葉であって、次のような話が伝わっている。
川越城が敵に攻められ落城寸前に、城中から姫が乳母と逃げのび、ようやくこの七ツ釜のところまでやって来たが、足を踏みはずしてしまった。姫は、川辺の葦にとりすがり岸にはい上がろうとしたところ、葦の葉がちぎれてしまい、姫は葦の葉をつかんだまま水底へ沈んでしまった。この辺の葦は、この姫の恨みによってどれも片葉であるといわれている。
<天神洗足の井水>
太田道真・道灌父子が川越城を築城するに当たって、堀の水源が見つからず困っていたところ、一人の老人が井水で足を洗っているのに出会った。この老人の案内によって水源を見つけた道灌は、かねての懸案を解決し、難攻不落の川越城を完成させることができたといわれている。かの老人の気品にあふれた姿に気がついた道灌は、これぞまぎれもない三芳野天神の化身であったかと思い、以来これを天神足洗の井水と名づけて大事にし神慮にこたえたという。
<城中蹄の音>
川越城主酒井重忠は、不思議なことに夜ごと矢叫や蹄の音に眠りをさまされていた。ある日、易者にみてもらったところ、城内のどこかにある戦争の図がわざわいしているとの卦が出たので、さっそく土蔵を調べたところ堀川夜討の戦いの場面をえがいていた一双の屏風絵がでてきた。この屏風の半双を引き離して養寿院に寄進したところ、その夜から矢叫や蹄の音が聞こえなくなったという。
川越市 説明立看板より引用
流石に古くからの街、色々な言い伝えがありますね。
他にも喜多院の七不思議、五百羅漢、仙芳真人 、どろぼう橋、しゃぶきばばあ等々。
今回は、七不思議の中でも「霧吹きの井戸」に注目してみました。
「霧吹きの井戸」は現在川越博物館の前の、エントランス付近にあります。


この井戸、元々は初雁球場の脇にあったそうです。
ちなみにこの画像,蓋が開いていますが、私の仕業でもないですし、
敵が攻めてきたわけでもありませんので、あしからず。(汗)
川越は、いつも冬になると霧が良く出る気がします。
電車通勤の私は、冬の朝、新聞を取るのと同時に、霧が出ていないか
確認するのが日課となってしまいました。
やはり霧の出ることが、昔から多かったのですかね。
2,3年前にはこんなことも。
川越市駅のホームで電車を待っている時、下り方面が霧でガスってるなと思っていたら、
霧が徐々にこちらに向かってきて、一気に目の前が霧で見えなくなった、という経験があります。
流石に怖いものがありました。
今の時代、どうして霧が出るのかなんて、判っていても怖いのに、昔の人たちが、
ましてや、ただでさえ死の恐怖を押さえ込んで、さぁ城に攻め込むぞって時、
こんな霧が来たら、攻め込む気なんかなくなりますよね。(戦術的なものもあるのでしょうが。)
城を建てた方も、色んなうわさを流して、攻め込む気を起こさせないように、
していたのかも知れませんね。
そんなこんなで結果的に、ここのところ雲りがちなのは、井戸の蓋が開いていたせいなのかも
知れません...。
!?関東地方、先週梅雨入り...。(笑)
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